◆融解熱◆


がちゃり、ばたん。

 

とドアを鳴らしてワルデガルドが部屋に入って来た時一緒に、手に持ったビニルの袋入り氷も、少しだけざくりと音を出して揺れた。

昨夕からずっとベッドの中だった部屋の主は、けほんケホンと、同じく昨日からずっと続いていた咳を無理に堪えてまで嬉しそうに、その振動に耳を傾けた。

 

「ほら、持ってきてやったぞ。」

「うわ、リーダーサンキュー!やっぱこれがなきゃあ。」

 

微量の水に浸かった氷は、昨夕から37度8分以上をキープしている、部屋主の体温を下げるのではなく、発熱と夏のうだるような暑さに参りきっている彼の気を紛らわすために用意された物らしい。

 

「熱、下がったか?」

 

堪え性のない冷たいそれは、日本製の夏布団の上で揉みしだされたり、熱る頬にくっつけられたりを繰り返しながら、みるみるうちに小さくなっていく。

 

「俺がいたら絶対勝ってたぜ!」

「また始まった。」

 

ニエミネンが言わんとしているのは今日のレースについて、である。

第一回WGP開催中の今年7月現在、北欧オーディンズの成績は10チーム中の総合順位で表すならば、下から数えて 4番目。

順位の変動こそなかったものの、本日の対アイゼンヴォルフ戦で勝ち数変わらずのまま、黒星だけが1つ増えた。

 

他のチームに比べてマシンポテンシャルに大きな劣りがあるというわけではない。

 

ただ、

「ほんとだって!俺のぶっちぎりさえありゃあ、」

「コースアウトにクラッシュ。チーム戦でリタイアは」

「しないって! …次のレースじゃあ、  …多分。」

只、5台そろっての完走率が悪いだけである。

 

ワルデガルドは肩が上下しない程度の小さな溜息をついてから、同じくらい小さく笑った。

 

 

「冷てー。」

「…氷だからな。」

「リーダーが。」

「何か言ったか?」

「別にい。」

 

下位に甘んじている理由の大元は、大抵の勝因にもなっている。

「(ムラがあるんだよな…。 こいつの場合。)」

 

 

今日は、勝てなかった。

 

 

「薬は?」

「の…、飲んだ飲んだ。」

「…本当かあ?」

「リーダーなんで俺の言うこと一つ一つ疑うんだよう。」

何だかしかめっ面が弱々しいのが気の毒だが、

「日頃の行いが悪い。」

朝と昼の2回分が、ベッドとデスクの間に挟まっていた。

 

「だぁ、だーかーら、只の夏風邪だって!寝てれば治るからさあ、」

「嘘吐いたのは許さない。」

「リーダーぁ…」

「寝てろ。見張っててやるから。」

 

手には先週買った日本画の本を持って、側にあった丸椅子に腰掛けた。

 

 

「…寝らんない。」

「どっか痛いか?」

「ううん…眠たくない。」

「昼間、起きて観てたんだろう?俺たちのレース。」

 夏布団のシーツの色は、薄い空色と濃い若葉の緑。

ベッドの南西側から太陽が、ニエミネンの手を経由して、さっきまで固形だったたっぷりの水に影をつける。

 

「音?」

「ううん。眠たくない。」

部屋主が軽く監禁されている間の、窓の外は騒がしかった。

アブラゼミというらしい。

先月の末生まれて初めて聞いた、ジリジリというその鳴き声を、ワルデガルドは機械音にも似ていると思った。

(「日本だ。ここは。」)

どこかで、荒っぽいモーターが無茶苦茶に回っている音だ。

 

「だーかーら!…俺もレースしたくって、」

「はいはい。」

 

ジ、ジ、ジリリ。

この煩さは、時として儚さの代名詞ともなるらしい。

初めての時、音の発生源の正体と一緒に、その寿命も習った。

ジリ、ジリ、ジリ。

 

「寝てなんかいらんねえって!」

そして、どうもこの病人もうるさい。

「そんなに怒鳴ったら熱上がるぞ。 」

暑さに降伏宣言するかのように、盛んな血気の残りをげほんげほんと咳で吐き出してニエミネンはふてくされた。

薄い空色と濃い緑にくるまって。

 

「ニエミネン。」

「…」

「スネてんのか?」

ケホン、

と小さく聞こえたが、きっと返答の類いではない。

「しょうがないだろ。」

 

くるまって、そしておそらく布団にくるまれた中身の方は、声のしてくる方にそっぽを向けて。

ジリリ、ジリリ。

急にニエミネンが黙ったものだから、蝉の声だけがワルデガルドに、背中の方からぶつかった。

 

1週間しか鳴かないんだってな?

 

とても信じられない。うすぼんやり思う。

日毎に音量は増していくからだ。

 

1週間、か。

 

おれたちには、1年。

 

「次はブーメランズ戦だ。来週の日曜。」

「今日、走りたかったー」

「風邪引いたのはお前だろ?! 来週までに治さないと次だって出られないんだぞ。」

「…」

「ニエミネンっ、」

「…」

「監督だって、」

ピピピピピピ、と電子音が遮った。

 

「見せてみろ。」

布団虫はにょきっと手を生やし、またもごもごやった。

 

「熱下がったじゃないか。37度3分、微熱だ。」

「…リーダー。  …怒ってる?」

「どうして?」

「…」

「…」

 

「怒ってないの?」

 

ばさりと、ニエミネンが構えの体勢を、とれるかとれないかぐらいのショート・アクションを用い、

無理矢理に布団を引きはがした。 

 

 

「怒ってるよ。」

 

そして、差し出した手は優しく額の上に。

「怒ってるよ。」

 

「…リーダーぁ…」

「今日は、勝てなかった。」

  

 

一夏の 翔る ような 思い。

融ける ような 熱さ。

 

布団はばさりと上から被せてまた椅子へ腰を動かす。

 

「なあニエミネン?」

「ん…」

 

夏の苛立ち

湿った外気

喉の奥のうなり

 

走りたいよな。

 

  

茹だる ような 熱気。

一夏の思い。

走って、勝ちたい。

1年は、短い。

 

 

「何めそめそしてんだよ。」 

「してない、けど、だけど」

「トランスギアシステム、お前も一緒に開発加わらないと。」

「…か…、完成しないよな!!!」

 

 

「ね、リーダー」

「こんな所で」

「終わってたまるか!…だろ!…な!!」

 

「そう。だから寝てろ。日曜はまだ来週だから。」

 

ワルデガルドがぎゅうっと押さえつけた頭は、ぶうぶうと小さな文句を成らし、再びむうっとしかめっ面を作りながら、頭を枕の上に置いた。

「氷、」

手の上のビニール袋は7月の、元・ブロックアイスの成れの果てを、たぷんたぷんと包み込みじりじり日光を吸い取っている。

「ああ…早かったな。外、捨ててくるよ。」

 

 

すう。

 

「お、れ、は、融けねえぞーーー!!!!」

 

 

 

「何事よ。」

2,3匹が連なって、頼んでもいないのに大音響の蝉。

それすらを一括する叫び声と、呆気にとられたワルデガルドの数秒の絶句の後、がちゃり、と部屋に後3人程入ってきた。

 

「…みんな…」

「元気、なの?」

「見ての通り!」

「だな。まだ喉が少し危なっかしいみたいだけど。」

「ヨハンソン、寝かしつけといてくれないか?」

「リーダー、俺、小さい子じゃないんだからさあ。」

「充分小さいじゃない。」

「今は小さいけどなあ」

「何か買って来ようか?」

「ガリガリ君! …じゃなくて、俺の話聞いてくれって!」

「何、」

 

 

「…もう負けねえ。」

 

 

「勿論。」

 

5つの声がしっかり響き、蒸暑さに鳴く蝉は、いつの間にかヒグラシになっていた。

 

 

   

  【終】

 

 

 

 

 


ノルウェーに蝉。 いません、よね…?(汗) 夏のほのぼの。 ニエミネンは夏風邪ひくと思うのですよ。日本で。

 

 

 

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